出産についてのお話をします⑤-無痛分娩の出産ー
こんばんは。今日も出産当日のお話、続きを書きたいと思います。
もっとコンパクトに書けると思っていたのに意外に長くなってしまうものですね💦
◆いよいよ赤ちゃんとの対面
助産師さんがかけてくれたヒーリング音楽を聴きながら、かれこれ4~5時間赤ちゃんが下りてきてくれるのを待っており、助産師さんからも心拍がちょっと心配かも、と不安な言葉が。。かなり焦ってきました。
帝王切開になるのかな、そもそもちゃんと赤ちゃんは呼吸できてるのかな、と色々な思いが頭をよぎります。
アレが良くなかったのか、コレが影響してるのか、と自分の行動を思い返したり、痛みがまったくない分、本当に色々なことを考えていました。こんなに1人の時間が長いと感じたことはないかもしれません。
そろそろやばいのかな、と思った頃に助産師さんが笑顔で「赤ちゃん戻ってきてくれたよ~」と声をかけてくれて、無事にいきんでOKのご指示が。そこからはもう本当に言われたとおりに、言われたタイミングで渾身の力をこめる、の繰り返しです。
おへそみながら~とか、顔に力入っちゃってる~、とかかけられた言葉を今考えると私、多分いきむの下手!!
普通みんな練習のために動画とか見るんですかね?あまり腰から下の感覚がないので、自分では力を入れているつもりなのですが、思ったように入っていなかったみたいです。これも無痛分娩のリスク?というか特徴だと先生から説明を受けていたことを思い出しました。
ただ感覚がないといっても、しびれもなく普通に動かせるので、できてるかできてないかワカラン・・・と思いながら、必死にいきみました。
ドラマみたいに「もう頭見えてるからねー!!」と言われて、あぁ本当にやっと対面できるんだと実感が湧いてきました。
それからほどなくして、無事に赤ちゃんが出てこれたのですが、はじめは泣き声が聞こえなくて、これまたとても不安になりました。
生まれましたよ~おめでとう!と先生や助産師さんから祝福の声をいただき、顔を見せてもらった後にかなりのタイムラグで泣き声が聞こえてきて本当にほっとしました。
結局時刻は11時ちょっと前。明け方には生まれているはずが、子宮口全開から7時間くらい経っていました。
もう少し具体的なことも書こうかと思いましたが、私が記録として残しておきたかったことは書けた気がするので、この辺で出産のお話は終わりにしたいと思います。
◆まとめ
私が当初無痛にしたかった理由のとおり、本当に無痛の注射を入れてもらってからの記憶がかなり鮮明にあります。もちろん時間と共にどんどんと忘れてしまっていることもありますが、待っている間の不安な気持ちや分娩室の空気、生まれるその瞬間など、全体的にかなり冷静に記憶しています。
結果的に陣痛促進剤も使うことはなく、計画分娩の予定とはまったく異なる結末となりましたが、最初から最後まで赤ちゃんの好きなタイミングで出てきてもらうことができたし、陣痛がいかに痛いかも体感することができたので、すごく良かったと思います。
人それぞれの考え方や事情、リスクもあると思うので、あくまでも私の感想ですが・・・無痛にして本当に良かったー!!!
というかあの陣痛のまま、最後まで走り切るなんて絶対に無理、という気持ちしかないです。その証拠に出産後、助産師さんから「あまりにもつらそうだったから、1秒でも早く無痛にしてあげたいと思ったよ」と言われました。
読心術ですか!そうです、私の心の中はまさに、1秒でも早く!早く無痛にして!それしか考えていませんでしたからね笑
産後の話も書けたら書きたいと思います。
おやすみなさい。
出産についてのお話をします④-無痛分娩の出産ー
こんばんは。今日も出産の当日のお話を書きたいと思います。
前回は予想外の陣痛がやってきたところまででした。
◆産院に向かう車中
父が運転、母が助手席、私が後部座席に座り、主人をピックアップするために自宅へ向かいました。その間も痛みはどんどん強くなり、話すのもしんどくなっていきます。
母がずっと手を伸ばして私の手を握ったり、腰をさすってくれましたが、あ”ぁぁーとかう”ーとか呻き声で返事するのがやっとでした。
自宅前の道路でキョロキョロしている不審者(主人)を発見し、無事にピックアップ。いよいよ産院へ!
車内で悶絶する私を見て、主人100パーヒいてます。え、大丈夫?どこが痛い?とか聞いてくるので、完全無視で四つん這いになったりぐったり横になったり、当時髪も長かったのでそれはただの貞子でした。途中から貞子と化した妻を触発しないように、主人が敬語で話しかけてきて笑、ちょっとクスっとなりました。
「お茶、飲みますか?」「腰、さすりましょうか?」「あ、黙りましょうか?」とかもうヤメテ~って思っていたら産院に到着。
私、着くまで靴も自力では履けないと思っていたのに、人間土壇場になると変な力が出るもので、スクっと車から降り、無言で歩き出しました。
◆分娩台にあがるまで
夜中なので当然産院も真っ暗で、臨時通路から入り名前を告げると、受付の方からまさかの返答が。。
「では先生に内診してもらいますので、いつも通り体重・血圧の測定をご自身でお願いしま~す」
え?この状況で体重とかいる?血圧とか測ってくれないの?うそーんΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
内心は絶望的な気持ちだったのですが、抵抗する気力もなく「はい。。。わかりました。。」と返事し、スススーとすり足でいつもの測定場所へ。
その後ろ姿の悲壮感がハンパなかった、と今でも主人に笑われます。
何とか血圧を測り終える頃に助産師さんが車いすを押しながら迎えにきてくれました。そのまま診察室へ。もう診察台にあがるのも本当にきつくて、大きな声を出したい衝動をずっとこらえていました。
先生から「もうね子宮口4cmくらい開いてるから、このまま分娩室行きましょう!」と言われて、その場で手術着に着替えることに。これがまた本当にきつくて。ただのワンピースを脱ぐだけでゼーハーしてしまい、もう今すぐに!1秒でも早く無痛にしてください!と心の中はそれだけを考えていました。この時点で確か夜中1:30くらい。
◆いよいよ分娩台へ
分娩室に入り、名前やら何やら色々と確認した後、先生から「無痛の注射をうちますが大丈夫ですか?」と聞かれます。多分少し食い気味に「はい、お願いしますっっっ!」と答えました。この時本当に痛みがMAXで、この状態で産むなんて絶対に無理😢と思いました。(自然分娩の方の痛みMAXはこんなもんじゃないと思いますが。。)
先生は初めましての方でしたが、とてもテキパキとした女医さんで、もうこの先生に私と赤ちゃんの命を預けようと覚悟を決めました。「背中を丸くして~」と言われるのですが、全然曲がりません笑。いや曲げているつもりなのですが、変な力が入っているのかまったく指示通りにできなくて、最終的に幼稚園児に話すように「エビさんのようにまぁ~るいイメージで~」と語りかけてくれたことを覚えています。エビさんって・・・。
そして何とか無痛の注射、管を通すことができ、薬が投与されると・・・
本当に痛みがスーッと消えていきました。本当にびっくりするくらい。
時間にして5分くらいかと思いますが、その頃には助産師さんと談笑できるレベルまで落ち着いていました。生還した、と心底思いました。そしてここからいよいよ出産なんだ、と違うドキドキがやってきました。
◆すんなり生まれるはずが
5分に1回ほど自動的に血圧を測ってくれる器具を腕に装着し、助産師さんがつきっきりで様子を見てくれました。お腹の張りもあまりわからないので陣痛の波はまったく感じず、どのタイミングでいきむのかも完全にお任せの状態です。
分娩台にあがってから1時間ほどで子宮口が全開となり、これはすぐ生まれちゃうかもね、なんて話していました。
結局陣痛促進剤も一切使わずに全開になるなんて、(担当の)先生!絶対火曜までもたなかったじゃーん!と思いながら、いきむ準備をしようとしていると、助産師さんと先生が何やら話を始めて、モニターを注意深く見るようになっていきます。
ん?何か今にも生まれそうだった感じなのにおかしいな・・と思ってから、結構な時間が経ちました。助産師さんが優しい声で「赤ちゃんってね、旋回して下りてくるんだけど、ちょっと今横というか違う向きにいっちゃっているみたいだから、このままもう少し待ってみよう。」と教えてくれました。
そこからひたすら待ちの時間。最初は体も少し休められるし、くらいに思っていましたが、30分、1時間と経過していくうちにどんどん不安になっていきます。
無痛の薬のおかげで痛みはまったくないのですが、することもないしベッドではないので眠ることもできず、ただひたすら赤ちゃんを信じて待つのも結構つらくなってきました。
そんなときに助産師さんが定期的に声をかけてくれて、その言葉がとても優しくて、何度も心を救われました。
結局そのまま朝を迎えてしまい、その時点で4~5時間は待ったと思います。
両親はいったん実家へ戻っていたので、主人だけ分娩室のとなりの病室をお借りして仮眠を取りながら待機してくれていました。
またまた長くなってしまったので今日はここまでにします★
出産についてのお話をします③-無痛分娩の出産ー
こんにちは。本当は妊婦時代も色々とネタはあったのですが、とりあえず忘れてしまわないうちに出産のお話を書いておきたいと思います。
◆当日まで
私は前の記事でも書いたように計画的に入院、陣痛促進剤で陣痛を誘発しつつ無痛の注射もうって痛みをコントロールしながら出産するいわゆる完全無痛(計画分娩)を予定していました。
そのため入院日も担当医師も決まっており、来るその日に向けて里帰りの準備をしていました。入院予定が火曜だったのですが、ちょうどその1週間前に実家へ帰りました。
火・水・木・金と順調に日にちは過ぎていきます。
最後の検診でも「まだ全然下がってきてないよー」と言われていたし、初産だし、きっと本来の予定日より遅れるはずだから、まさかあんな結末になるとは誰も思っていませんでした。
◆土曜日
主人はカレンダー通りのお休みのため、入院予定日を含む週をまるまる1週間有給休暇とし、9連休になっていました。そして連休初日の土曜日、実家に会いに来てくれて、夜ご飯でもみんなで食べようか、という話になったので、私の両親と共に近くの焼肉屋に行きました。
・・・私本当に知らなかったんです。そんなジンクス。後々、陣痛起こしたくて焼肉なんて行ったのー?と聞かれるのですが、私を含め4人とも「ただ肉が食べたかった。」私に至ってはしばらく焼肉屋行けないから「はちきれるほど肉を食べたい。」という思いで、満腹になるまで食べました。
◆日曜日
土曜日の夜主人はいったん帰宅し、また明日行くねーなんてのんきなことを電話で話して、眠りました。日曜の明け方、違和感を覚えて目覚めます。
ん?何か出た?と思い、急いでトイレに向かうとほんの少し出血が。。
うそうそうそ、赤ちゃんよ、まだあと2日ございます!え、生まれる?まだだよね?と1人でドキドキしながら、家族が起きてくるまで、産院でもらった資料やネット情報を色々と整理すると、これは多分おしるし。すぐ生まれる人もいるし、そこから全然陣痛こない人もいる。気になるなら産院へまず電話を。
ということで、「オトウサ~ン( ノД`)オカアサ~ン( ノД`)予想外なこと起きてます。」とお伝えして、産院へ行くことになりました。産院は少し遠いので、着いたのは12時くらいだったかな。
午前中主人はのんきに美容院に行っていたので、美容師さんに猛烈高速カットをお願いして笑、産院で合流することになっていました。
日曜のため産院も臨時対応、薄暗いロビーで診察を待っていたら、遠くから全力でゼエゼエいいながら走ってくる男性が。日焼けもあいまって何かランナーきた、と思ったら悲痛な顔つきの主人でした。普段は産院までバスが出ているのですが、日曜はそれもなく公共バスも本数が少ないので1.5kmほどの道のりを全力ダッシュしてきたとのこと。
笑ってはいけないのですが、どう考えても汗かき過ぎで*1笑
後々、何で俺タクシー乗らなかったんだろう・・・とつぶやいていました。
内診とNSTで赤ちゃんの無事を確認しながら、担当の先生に
「まだそこまで下りてきてないから、もう少しかかると思う。多分予定していた火曜までもつと思うけど、どうする?今日産む?明日は僕いないから、今日このまま入院して産むか、火曜にするか、どうしたい?」
と言われ、とても混乱しました。キョ、キョウ?これから?そもそも出産って選択制でしたっけ、とか心の準備できてないしな、とか色々な思いが駆け巡って、ちょっとおかしな顔つきになったのを察したのか、先生が席を外してくれました。
母と話しながら、やっぱり赤ちゃんにも出てきたいタイミングってあるよね。今はまだなんだとしたら無理やり出産するより、いったん帰ろうという結論に至りました。
その時初めて陣痛促進剤で陣痛を誘発するという方法が本当に良かったのか、を現実的により”実感”をもって考えるようになりました。もちろんここまできて無痛分娩を変えるつもりはありませんでしたが、やはり出産は計画通りにはいかないし、何が起きてもおかしくないと思いながら臨まないといけないものだと思い知らされました。
◆日曜日の夜
そして昼過ぎにまた実家に戻り、主人は自宅へ。18時頃実家でのんびりしていたら何となくお腹が痛い。。でも生理痛の本当に軽めの感じなので、そのまま夕飯を食べて様子をみていました。
19時、20時と経過するうちにどんどんお腹は痛くなります。いよいよ生理痛本番な痛みになってきて、あれ?コレ陣痛くるんじゃないか?と思い、その勢いで陣痛アプリをDLしました。そもそもそんなアプリにお世話になる予定ではなかったので、種類いっぱいあるな、何か変なのおとさないようにしなきゃ、とわりと冷静に吟味したのも覚えています。
本当に聞いていたとおり、波があってズーーーーンとお腹を破壊されそうになるときと、普通に話せるときが交互に訪れました。この時点で21時頃、主人、両親と相談しました。でも陣痛5分おきになったら病院とかいうし、まだ耐えられるっちゃー耐えられるし、できれば月曜の朝になってから行きたいなんて思っていました。
また帰宅することになったりしたら両親にも悪いし、できれば火曜日に予定通りいつもの担当の先生に診てもらいたい気持ちもどこかにあって、今考えればこの時点ではまだ余裕があったのだと思います。
23時、いよいよ陣痛が本格化して、もう限界!!!痛い!!とにかくお腹痛い!!!ということで主人のラインに返信する気力がなくなり、両親にも消え入りそうな声で「・・・ワタシを病院へ連れていってください」と告げました。ただ、すでに自宅から産院への終電は終わっていたので主人はタクシーで向かうか?となったのですが、どうせなら一緒に行こうということで、実家→自宅(ピックアップ)→産院へ。この時間が本当に地獄でした😨
長くなってしまったので、続きはまた次回に書きます。
*1:´∀`
出産についてのお話をします②-妊婦生活を振り返ってー
こんにちは。前回は産院を選ぶまでのお話を書きましたが、今日は妊婦生活を振り返ってみたいと思います。
私は妊娠を希望してから1年くらい全くできる気配がなく、主人の海外出張も頻繁だったので、当時はとてもナーバスになっていました。このあたりのことは、いつかまたゆっくり書きたいと思いますが、とりあえず検査薬の陽性の結果がでたときは本当に嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています。
◆妊娠初期
・・・でその次の週から、もうつわりが始まりました。本当に寝ているとき以外は常に気持ちが悪くて、食べたい物もなく、実際に吐いてしまっていたので、家ではシカバネ期間が続きました。
当時満員電車に乗って仕事に行っていたので、会社にたどり着く頃には本物のシカバネ寸前の状態でしたが、年末年始をはさんだことや年に1回取れる長期のお休みを取れたことなどもあり、職場に報告するまでのつらすぎる妊娠初期期間を何とか乗り切ることができました。
<当時私を助けてくれたもの>
・ジンジャエール(ゲップのお供)
・CCレモン(ゲップのお供)
・フルーツゼリー(時にオレンジ、時にグレープ)
・マスク(その下で実はオエってなってるの隠せる)
とにかく呪文のように「ゲップしたい・・・」とつぶやいてました。すればいいじゃん、とお思いでしょうが、これがなかなか難しくて。そんなとき、上記のお供達が本当に頼りになりました。そして何より主人の協力に感謝です。ゲップ狂となった妻のために、炭酸を欠かすことなく買ってくれて、身の回りのことや家事をほとんどやってくれました。今でも頭が上がりません。
◆妊娠中期
3か月、4か月あたりには少しずつ気持ち悪さも改善し、食べられるものも増えてきましたが、なぜか喉のあたりにずっと何かが引っ掛かっているような感覚だけは消えませんでした。私はそれを「玉」と呼んでいたのですが、周囲にも玉はなかなかわかってもらえず、そんなつわり聞いたことないよーアハハーみたいな感じで流されてしまって。ネット検索しまくった結果、喉づわり?なるものがあるそうですね。
今のところ玉を経験した友人は誰一人いませんが泣、もし同じ経験をした方、そんなつわりもありますので、安心してください。でもすみません、解決法とか知らないです(;´Д`)
安定期に入ってからは職場にも報告ができ、気持ちもかなり落ち着いてきました。この頃から里帰りのタイミングや、会社の産休・育休手続きなど今後のことも考えられるようになりました。
◆妊娠後期
どんどんお腹は大きくなりましたが、体調も比較的安定していて経過も順調でした。この頃主人と産院主催の両親学級なるものに参加したのですが、うちの主人は何だかこういうときにヒキが強いというか、持っているというか。。。
妊婦ジャケットを着て奥さんの気持ちを体験しよう!というコーナーで、めちゃめちゃドSの助産師さんにあたってしまった結果、明らかに1人だけ指示多めで笑。
はい寝転がって~はいそこから起き上がって~しゃがんで~から座る!とかもう意味不明な要求をされてて、笑いこらえるのが結構大変でした。そもそも寝転がらせられてるのアナタだけですけど!と思いながら、必死にこなす彼を見たのも良い思い出です。
無痛分娩に関連して色々と産院で検査もしたのですが、そのうちの1つに骨の密度や強度?を調べるものがありました。え、そんな検査しなかったよ?と友人によく言われるので多分私の産院だけみたいですが笑。
私はちょっとガリよりの痩せ型で、周りからも骨が弱そうと言われていたので、この検査少し不安でした。検査自体はあっという間に終わって、結果を専門の方が解説してくれるのですが、
「jurisaさん・・・」
「結果なんですけど・・・」うわーきたー
「・・・めっちゃ骨しっかりしてますね!!」え?ウソでしょ?
「なんならこの年齢の方の1.2倍の密度です。」えーーもはやちょっと恥ずかしい。
この結果は当然担当の医師にも共有されるのですが、その日の診察で、先生が明らかに紙を二度見して「え、えぇぇ?骨スゴイね。」とおっしゃいました。
はい、私が一番驚きましたよ、と思ったこともよく覚えています。
とても長くなってしまったので、今日はここまでにします★
出産についてのお話をします。ー無痛分娩を選ぶまでー
初めての記事は、人生の一大イベント、出産について書こうと思います。
育児のすき間に少しずつ分けて書いていきます。
私は、妊娠を意識したときから無痛分娩を希望していました。
痛そうというより、ちゃんと出産を覚えていたかったからです。何なら、「自分は痛みに強い方」とさえ思っていました。
・・・結果、そんな思い込みを恥じるほど陣痛は痛かったのですが、無痛分娩にて無事出産することができました。
◆産院を選ぶまで
なかなか妊娠できなかったので、それまでにわりと産院については調べていました。
漠然と無痛分娩がいい!と思っていた私ですが、調べていくうちに産院によって随分方針が違うことに気づき、妊娠してもいないのにかなり悩んだことを覚えています。
①陣痛がきたときに無痛の麻酔科医がいれば無痛分娩にできる
②ぎりぎりまで自然、痛みMAXの最後に無痛分娩にできる(どのタイミングで無痛にするかは産院による)
③予定日より少し前に入院、陣痛促進剤でコントロールしながら無痛分娩できる
①は「土日祝以外、平日の17時まで」とかが多くて、もう陣痛のタイミング気にしすぎておかしくなりそうだったので笑、なし。
②が結構一般的?なのかと思いますが、当時痛みが未知すぎた私には③の方がいいような気がしていました。もちろん相応のリスクもあって、そこに値段、場所などの要素が加わるので、あれ、私本当に無痛にしたいんだっけ?とよく自問自答していました。
あ、まだ妊娠すらしていないんですけど。。
ただ妊娠発覚後はつわりがひどく、当時仕事もあったので気軽に見学にも行けないし、人気の産院は妊娠〇週までに予約しないとダメ、など意外に時間がなかったので、前述の妄想がかなり功を奏しました。
主人とも相談し、③にしましたが、やはり決め手は緊急時含め、無痛分娩の体制がしっかり取れているという点でした。担当の医師もたくさんいて、その地域では結構有名な産院なのですが、やはり待ち時間も長く、費用もそれなりにかかったので、自分の中の優先順位をしっかり考えておくことが重要だなと思いました。
・・・そしてさんざん考えて計画無痛分娩を選んだ私。
入院の前日に陣痛がきて、普通に地獄の陣痛を味わいました😱ソンナモンダヨネ。
今日はここまでにします★
初ブログ、ネタ帳始めます。
はじめまして。
30代、育児中の主婦です。
これまでのおもしろかった出来事や心に残っている話など
人生のネタ帳をこれから書き残していきたいと思います。
しょーもない話ばかりだと思いますが、お付き合いいただける方が
いたら嬉しいです。
よろしくお願いします。