産後ゾンビが退院するまでのお話をします。
こんばんは。うっかり間が空いてしまいました。
最近息子にyoutubeで英語の動画でも見せようかと軽い気持ちでデビューさせてしまったばかりに、連日の見せろ見せろ攻撃が始まってしまい、すでに辟易しております。
もっと覚悟が必要だった・・・
さて、息子の血管腫レポを書きたいと思いながらも、産後ゾンビ話が中途半端だったので、息子の退院秘話も含めて続きを書ききりたいと思います。
首の激痛により産後ボロボロになった私は、お祝い膳も早々に切り上げ病室に戻ることになりました。
今振り返ると、産後のホルモンバランスなどもきっと乱れていて、首だけが要因ではなかったのかもしれませんが、とにかく身体がしんどすぎるのと、赤ちゃんに何もしてあげられていない(正確にいうと、お世話これからちゃんとできるのかという)ことが不安すぎて、気づいたら涙がスーっと出ていました。
一度出始めるとなかなか涙は止まらないもので、1人でシクシク泣いていると、ドアがコンコン。
「失礼しまーす!先ほどのお料理、お持ちしました☻」
素敵な笑顔でコンシェルジュさんが料理を運んできてくれました。
・・・?
あっ、えっ、大丈夫ですか?
一応取り繕ってみましたが、明らかに泣いていたことがバレた空気感。
大丈夫です^^と伝えましたが、やばい人フラグがたっている私のために、その後数人の看護師さんが病室に来てくれました。
肩にそっと手を置いてくださる方もいて、皆さんの優しさにとても感動しました。
ただ皆さんが口をそろえて
「赤ちゃんは退院するまで預かるから!きっと今同室になれないこと、すごく責任感じちゃってると思うけど全然大丈夫だからね!」
と言ってくださったのですが、その時点では、責任を感じるスキもなく・・・ただただ産後すぐの母子同室がこんなにも大変なんだと痛感していただけだったことは、どの看護師さんにも言えなかった。。。
2人目以降になるとまた違った感覚になるのかもしれませんね。
というわけで、ありがたく赤ちゃんは預かっていただき、ひたすら自身の回復一点に集中していた私も、ようやく退院前日にはゾンビから人間に戻りはじめていました。
主人との面会を終え、そろそろ寝ようかと思っていた頃、病室をノックする音が。
こんな時間に誰だろう、と思ったら、小児科の先生でした。多分21時頃だったと思います。
一瞬イヤな予感はしましたが、平静を装って話をお聞きすると、
・赤ちゃんの手足のピクピクが他の子より少し多い
・これがけいれんだとすると、脳からくるものかも(障害があるかもしれない)
・今日の夜ずっとサチュレーション(だった気がします)をはかる機械をつけさせてほしい
・明日の退院までに様子を見て改善しないようなら、退院は少し延びるかも
穏やかな面会時間から一瞬で地獄に堕とされたような感覚でした。
心臓がバクバクして、主人や両親に何て伝えよう、と手が震えたのを覚えています。
もし退院が延びた場合、お母さん(私)も一緒に入院しておくこともできますが、どうされますか?と聞かれました。ただ何だかあまり頭がまわらず、ひとまず実家に帰りたかったのもあり、いずれにしても私は一度退院します、と伝えたのでした。
ちょっと現実逃避したい気持ちもあったのかもしれません。
そこからは検索魔となり、あまり眠れずに朝を迎えました。入院中、何度も赤ちゃんに会いに行ったのに、その時は何も感じられなかったな・・・
良くも悪くも情報が溢れていると、色々なことを考えてしまいますね。
お迎えの家族と共に退院手続き後、先生の見解を待ちました。
結果は退院延期・・・。
とりあえずその次の日にもう1人の小児科の先生がくるので(多分その先生の方がえらい?)、きちんと1日様子を見て最終的に判断します、とのことでした。
ダメならそのまま大きい病院に搬送します、とも告げられ、私は涙をこらえるのに必死でした。
生まれてまだ一週間しか経っていない我が子は、オムツ1枚で機械をつけたままスヤスヤ眠っていました。
脳に障害があったら、この子はこの先どうなってしまうんだろう・・・
このときの胸がきゅーっと狭くなる感覚は、多分一生忘れないと思います。
唇の血管腫を宣告されたことをこの時は本当にすっかり忘れてしまうほど、予想外な退院日を迎えたのでした。
私の両親と主人で実家に帰ったのですが、いるはずの新生児がいない、このときの大人4名の微妙な空気は言わずもがなです。
結果的には問題なし、ということで無事翌日の午後迎えに行けたのですが、その確認を翌日朝10時半にするために死ぬほど時計を見たことや、産院でみんな一緒に退院する家族を何組も見たこと、退院時に着せる予定の洋服やおくるみをやっと着せられたこと、など色々と脳裏に焼き付いています。
本当に健康で普通に生きていることがいかに尊いことなのかを、教えてもらいました。
出産は奇跡、五体満足で生まれることも奇跡、テレビではよく耳にしていたけど、まさか自分が身をもって感じることになるとは、思いもしませんでした。
次回はまたそんな息子の血管腫レポートを書きたいと思います。