備忘のために息子の謎の言葉を書いておきます。

もはや間が空きすぎてなぜまたブログを書こうと思ったのか謎ですが、

絶対に忘れてしまう自信があるので成長記録の1つとして記しておくことにします。

 

息子は男の子のわりに話し始めも早く、比較的おしゃべりだと言われることが多いのですが

2歳2ヶ月頃から謎の単語を話すようになりました。

 

それは・・・・

アビオリ

カリオリ

最近また1つ増えました。

 

その名も

 

カビクーリ

 

誰😂何なん、それ。

 

使い方はこんな感じです。

 

「今日何食べたの?」

「ご飯とハンバーグとおみしょしるとイチゴと、あとアビオリ

「今日は誰と遊んだの?」

「○○ちゃんと○○くんと、あとカリオリ

 

最近の高度な使い方としては

「今日ばあばとお散歩行って、りんごジュース飲んで、カビクーリだったの。」

 

・・・母、混乱🤯

人名?形容詞?最初は聞き取れないだけだと思って

何度も聞き直しましたが、彼ははっきり発音しています。

 

アビオリとカリオリとカビクーリを笑。

妖精さんの名前かな。。。

子どもの血管腫についてのお話をします。-これまでの治療とお金ー

なかなか梅雨が明けないですね。。

洗濯物が乾かず浴室乾燥機がフル稼働な毎日です。

 

さて、近々また息子の血管腫の治療があるのでこれまでのレーザーの記録と

お金について書いておきたいと思います。

 

生後間もなく唇に血管腫があると言われ、2つの病院を受診。

いずれの医師からも単純性血管腫であろうという診断をいただき、2つ目の病院で現在5回レーザー治療を行っています。

 

内容は色素レーザーといわれるもので保険適用です。ただ保険適用の場合は3か月ごとにしかできないので、大体レーザーをあてた次の月に診察、そこでまた翌々月の予約を取る、みたいな流れでした。

 

ここまでの治療の感想としては・・・

 

だいぶ効果が出ている!・・・と思います。

(毎日見ているので正直見慣れてしまっただけなのかもしれませんが、一応周りの友人、親族からも会って第一声でかなり薄くなってる!と言われます。)

 

まず色については3回目あたりから、かなり薄くなったような気がします。

初回、2回目はレーザー直後かなり白くなったのですが、また少し経つと色が戻ってくるような感じが続き、やっぱりダメか・・・と落胆していました。

 

3回目あたりから私たちが一番気になっていた、「唇からはみ出てしまっているアザ」が少しずつ目立たなくなったと感じています。

 

成長によって皮膚が伸びたのもありますが、以前は真っ赤で膨らみを帯びていた唇が、少しずつ「唇、厚いのね」くらいになったような。。。(言い過ぎかな)

 

写真を載せるのが一番早いのですが、今スマホの写真整理やら引っ越しやらバタバタしているので、落ち着いたら順を追ってアップしたいと思います。

 

そして前回の診察で先生がボソっと

「・・・・これ、いちご状血管腫かもね。」

 

えーーーーーーいちご🍓じゃないって言ったやん!!!

はっきり言ったやん!!と心の中で思いましたが、まぁ結果オーライになるのなら何でもいいです。

そして、「かもね。」なだけで、結局どちらかなのかはよくわからず、本当に先生の独り言っぽい空気で次のレーザー予約を取り、診察は終わりました。

 

毎回レーザーの照射にあたっては親の署名をした同意書を提出するのですが、これまで「単純性血管腫に伴う~」というタイトルだったのに、今回いただいた同意書をふと見ると、

「いちご状血管腫に伴う~」に変わってる!!

 

見過ごしてしまうくらいの見事なしれっと感。いや、先生は少しぶっきらぼうなだけでとても優しい方だとは思うのですが、一言いってくれてもなぁなんて思ってしまいました。(同意書は診察後、看護師さんからいただきます。)

 

ちなみに治療費は0歳~1歳なので助成制度によってかかりませんが、住んでいるところと違う自治体の病院なので、いったん立替の後、返還申請をしています。

 

そのため実質は無料ですが、1回のレーザー治療につき、9000円弱かかります。

(3割負担で。)

助成していただけるのは本当にありがたいですね。

今は育休中なので平日も容易に通院できますが、これから仕事復帰したり、毎回付き添ってくれる両親の助けがもしなかったら、と思うと、治療できる環境にあるだけでも幸せに思わないといけないんだなぁと痛感しました。

 

 

レーザー照射は毎回2分程度、病院の滞在時間はトータル1時間ほどですが、最近は息子も病院の雰囲気や何をされるかを理解し始めてきているようで、看護師さんを見ると拒否反応がすごいです。もちろん手術室(照射室)からの断末魔のような泣き声は毎回ですが、最近は力もかなり強くなってきているので、相当押さえつけて照射をされているんだろうな~と思ったり。

 

やっぱり物心がつく前にできるだけ薄くしてあげたいな、と思います。

あと1回レーザーをあてたら、少し様子を見ようと思っていますが、唇の状態によってはまた再開するかもしれません。どうかこのまま成長と共に薄くなっていって🥺と願うばかりです。

 

産後すぐ検索魔になったものの、全然症例や情報がなかったので、同じ病気のどなたかの検索に引っかかって、少しでも希望を持ってもらえたら嬉しいです。

(皮膚科医の友人に聞いたところ、血管腫って唇できやすいからね~とさらっと言われましたが、周りにも全然いなくて、検索もあまりヒットしなくて、落ち込んだ時期がありました。)

 

それではまた。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

産後ゾンビが退院するまでのお話をします。

こんばんは。うっかり間が空いてしまいました。

最近息子にyoutubeで英語の動画でも見せようかと軽い気持ちでデビューさせてしまったばかりに、連日の見せろ見せろ攻撃が始まってしまい、すでに辟易しております。

もっと覚悟が必要だった・・・

 

さて、息子の血管腫レポを書きたいと思いながらも、産後ゾンビ話が中途半端だったので、息子の退院秘話も含めて続きを書ききりたいと思います。

 

首の激痛により産後ボロボロになった私は、お祝い膳も早々に切り上げ病室に戻ることになりました。

今振り返ると、産後のホルモンバランスなどもきっと乱れていて、首だけが要因ではなかったのかもしれませんが、とにかく身体がしんどすぎるのと、赤ちゃんに何もしてあげられていない(正確にいうと、お世話これからちゃんとできるのかという)ことが不安すぎて、気づいたら涙がスーっと出ていました。

 

一度出始めるとなかなか涙は止まらないもので、1人でシクシク泣いていると、ドアがコンコン。

「失礼しまーす!先ほどのお料理、お持ちしました☻」

 

素敵な笑顔でコンシェルジュさんが料理を運んできてくれました。

 

・・・?

あっ、えっ、大丈夫ですか?

 

一応取り繕ってみましたが、明らかに泣いていたことがバレた空気感。

大丈夫です^^と伝えましたが、やばい人フラグがたっている私のために、その後数人の看護師さんが病室に来てくれました。

 

肩にそっと手を置いてくださる方もいて、皆さんの優しさにとても感動しました。

ただ皆さんが口をそろえて

「赤ちゃんは退院するまで預かるから!きっと今同室になれないこと、すごく責任感じちゃってると思うけど全然大丈夫だからね!」

と言ってくださったのですが、その時点では、責任を感じるスキもなく・・・ただただ産後すぐの母子同室がこんなにも大変なんだと痛感していただけだったことは、どの看護師さんにも言えなかった。。。

 

2人目以降になるとまた違った感覚になるのかもしれませんね。

 

というわけで、ありがたく赤ちゃんは預かっていただき、ひたすら自身の回復一点に集中していた私も、ようやく退院前日にはゾンビから人間に戻りはじめていました。

 

主人との面会を終え、そろそろ寝ようかと思っていた頃、病室をノックする音が。

 

こんな時間に誰だろう、と思ったら、小児科の先生でした。多分21時頃だったと思います。

一瞬イヤな予感はしましたが、平静を装って話をお聞きすると、

 

・赤ちゃんの手足のピクピクが他の子より少し多い

・これがけいれんだとすると、脳からくるものかも(障害があるかもしれない)

・今日の夜ずっとサチュレーション(だった気がします)をはかる機械をつけさせてほしい

・明日の退院までに様子を見て改善しないようなら、退院は少し延びるかも

 

穏やかな面会時間から一瞬で地獄に堕とされたような感覚でした。

心臓がバクバクして、主人や両親に何て伝えよう、と手が震えたのを覚えています。

 

もし退院が延びた場合、お母さん(私)も一緒に入院しておくこともできますが、どうされますか?と聞かれました。ただ何だかあまり頭がまわらず、ひとまず実家に帰りたかったのもあり、いずれにしても私は一度退院します、と伝えたのでした。

ちょっと現実逃避したい気持ちもあったのかもしれません。

 

そこからは検索魔となり、あまり眠れずに朝を迎えました。入院中、何度も赤ちゃんに会いに行ったのに、その時は何も感じられなかったな・・・

良くも悪くも情報が溢れていると、色々なことを考えてしまいますね。

 

お迎えの家族と共に退院手続き後、先生の見解を待ちました。

 

結果は退院延期・・・。

とりあえずその次の日にもう1人の小児科の先生がくるので(多分その先生の方がえらい?)、きちんと1日様子を見て最終的に判断します、とのことでした。

ダメならそのまま大きい病院に搬送します、とも告げられ、私は涙をこらえるのに必死でした。

 

生まれてまだ一週間しか経っていない我が子は、オムツ1枚で機械をつけたままスヤスヤ眠っていました。

脳に障害があったら、この子はこの先どうなってしまうんだろう・・・

このときの胸がきゅーっと狭くなる感覚は、多分一生忘れないと思います。

 

唇の血管腫を宣告されたことをこの時は本当にすっかり忘れてしまうほど、予想外な退院日を迎えたのでした。

私の両親と主人で実家に帰ったのですが、いるはずの新生児がいない、このときの大人4名の微妙な空気は言わずもがなです。

 

結果的には問題なし、ということで無事翌日の午後迎えに行けたのですが、その確認を翌日朝10時半にするために死ぬほど時計を見たことや、産院でみんな一緒に退院する家族を何組も見たこと、退院時に着せる予定の洋服やおくるみをやっと着せられたこと、など色々と脳裏に焼き付いています。

 

本当に健康で普通に生きていることがいかに尊いことなのかを、教えてもらいました。

出産は奇跡、五体満足で生まれることも奇跡、テレビではよく耳にしていたけど、まさか自分が身をもって感じることになるとは、思いもしませんでした。

 

次回はまたそんな息子の血管腫レポートを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

産後ゾンビになったお話をします。

こんにちは。

だいぶ間があいてしまいました。すっかり夏が近づいてきましたね。

しばらく息子の話ばかりしていたので、今日は産後ゾンビの話を書きたいと思います。

私自身も少しずつ忘れかけているので、備忘のためにもなるべく詳しく書いておきたいなと思っています。

 

私は前にも書いたとおり無痛分娩で出産しました。

計画無痛のはずでしたが、入院日より前に陣痛がきてしまったので、結局途中からの無痛分娩となりましたが、比較的安産で無事に息子を出産することができました。

 

初めての経験なのでそもそも「イキム」ってどうやるの?というところからだったのですが、無痛だと本当に陣痛の波や下半身の感覚がわかりません。

個人差はあるのかもしれませんが、私はまったく感じずに助産師の「今!いきんで~!」にあわせて、そもそもイキめているのか謎な踏ん張り?を繰り返していました。

 

とても優しい助産師さん2人に対応していただきましたが、前半はちょっと別の方向に旋回してしまった息子をただ待っている時間が長かったので、あまりいきむタイミングはなく。。

 

後半はひたすらその助産師さんの指示通りに力を込めていました。

今考えると、ちょっと恥ずかしいお言葉もいただきました。

 

下じゃなくて顔に力入っちゃってま~す

 

あ、スイマセン(笑)といいつつも私的にはかなり下半身に力を込めているつもりだったので、このあたりでおそらく全身、特に首にガタがくる要因を作っていたと思われます。

 

産後は2時間ほど横になっていて、ようやく病室に戻ることになったのですが、このあたりは全然元気で、家族からも「え、いつも通りすぎて怖いんだけど。」と言われるくらいでした。

 

貧血を少し感じていたのと、すごくおなかが空いていて、病室では昼食に出た塩焼きそばをものすごい勢いで食べ、水をゴクゴク飲んだことを覚えています。

 

ただ産褥パンツなるものがとても不快で、出血もなかなか止まらなかったので、思い切り横になって寝られるという感じではなく、しかもベッドをなぜかリクライニングで調節せずにそのまま横になっていたので、とにかく体中が痛いな・・・という感じでした。

 

とりあえず無事に終わったんだ~という安堵の気持ちと多少のランナーズハイで、このときは比較的元気に過ごしていました。

 

翌日、何か首が痛いなーと朝から思います。あと結構貧血がつらく、診察室まで行くの厳しいなーと感じながらも経過を診るための診察を受けました。

 

感覚とは裏腹に「子宮の戻りもいいし、順調だね!」なんて言われながら、徐々に首の痛みが激しくなってきます。

この頃からちょっと人に会うのしんどいなぁと思い始め、面会に来てくれた両親や義父母にもあまり笑顔が作れずにいました。

この日から母子同室になったのですが、初めてのおむつ替えやミルク、授乳の練習などで、かなりいっぱいいっぱいでした。

 

3日目には完全に首が動かなくなり、下を向くのもつらくなります。筋肉痛に加えてずきずきする痛みを感じ、最終的には頭痛がしてきました。

そんな中での沐浴指導。ただの地獄!!!

 

あの。。。私首をやってしまいまして、これ以上下を向けません。と申告し、サポートしてもらいながらやったのですが、この時やったことほぼ覚えてません笑。

主人に家からシップを持ってきてもらい、ひっそり貼ったりしていましたが、よくよく考えたらここ病院なんだから、処方してもらえばよくない?という話になり(遅すぎる)、次の診察でいよいよ先生に打ち明けます。

 

「先生、下も痛いですが、そんなことより首がすっごく痛いです。

 

先生はちょっと半笑いで、

「え、本当に?そっかー。まぁ筋肉痛みたいなものだからすぐ治ると思うけどね。湿布だそうか?」

 

本当だよ!!!ってか何でちょっと笑ってんの!!と内心思いながら、ありがたく湿布を貼ることに。ただ、これがビビるほど効きません。

もう泣けるほど痛くて、いよいよ食欲もなくなってきました。

ほぼ出されたごはんも食べられず、4日目のお祝い膳を迎えます。これは同じ頃に出産した人たちと豪華なフルコースを食べよう、という産院名物の企画なのですが、着席した瞬間、冷や汗がぶわーっと出てきて、もう喉が渇いて死にそうでした。

 

みんなで乾杯する前に1人で水を一気飲み。

このあたりでおそらく「やばい人フラグ」がたった気がします。コンシェルジュさんが明らかに私をチラ見しています。

前菜が出てきた頃には少しずつ周りのママさん達が親睦を深め始め、「2人目ですか~?」とか「帝王切開の傷、やばくないくですか?」とか、ちらほら会話が聞こえてきました。

 

そんな中私は一点を見つめ、ひたすら水をがぶ飲みしている。。。

帰りたい。もう病室とかじゃなく家に帰りたい。そう思っていたらついにコンシェルジュさんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

「あの、首をやっちゃったんですけど、何だか食欲もなくて・・・」と答える私のために、病室に料理を運んでくれることになりました。

 

在席時間、多分10分くらい(笑)

きっと私の退席後、やっぱりねと噂になっていることと思います。

だって私の様子は明らかにおかしかった。交通事故に遭ったみたいに全身がガチガチで冷や汗を流して、ただ水飲んでるやつとか、お祝いの「お」の字も感じさせないボロボロ感。

まだ続くのですが、今振り返っても私は陣痛・出産より何倍も産後がつらかったです。

(人それぞれだとは思いますが)

長くなったのでここらへんで一回区切ります。

 

では。

 

 

 

GWのお出かけの話をします。

こんにちは。

10連休も終わり、ようやく通常営業に戻った感じですが、最近は息子の血管腫のことばかり書いていたので、今日は連休中のお話を書きたいと思います。

 

お友達の家に行ったり、実家に行ったり、あまり遠出もせずに過ごしていたのですが、唯一お出かけしたのがマザー牧場&木更津アウトレットでした。

 

混雑は覚悟していたのですが、帰りがめちゃめちゃ地獄でした。

まぁ行きもアクアライン乗るまでに2時間くらいかかって、何度も「このまま帰ります?」って会議になったのですが、とりあえずその時はまだ元気があったので、夫婦で励ましあいながら何とか到着しました🐄

 

マザー牧場では、羊にエサあげたり、ソフトクリーム食べたり、子豚レースを相当遠くから観覧したり、一通り楽しみました。息子も自然に触れられてさぞ楽しかろう!と思ったのですが、少々早かったようで、何なら早くベビーカーに乗せろと要求してきました。。。

 

そして息子が一番テンションあがっていたのは、まさかの花壇🌸でした。うん・・・花を愛でる心はいいと思うのだけど、これはお家の近くにもあるね・・・

 

私も主人も物心ついてからマザー牧場に行った記憶がなかったので、古いナビどおりに行ってしまいましたが、最近はICから10分ほどで到着できるようになっていたんですね。

しかも駐車場も2か所あって、結構離れているので、どういうコースで回るか下調べしていくべきだったーーーと大いに反省しました。

 

そんなこんなで夕方頃マザー牧場を出て、帰りの道の混雑状況によってアウトレットに行こう!ということになりました。

電光掲示板の表示で「アクアラインに乗るまで50分」となっていたので、ここで50分もかかるならアウトレット行って夜遅めにアクアライン乗ろう~という浅はかな選択をしました😨

 

アウトレットのある木更津金田ICではなく、手前の袖ヶ浦で高速を降り、下道で向かいましたが、ここはわりとすんなり進めて、良かった!!と安心していたのですが、アウトレットに着いた瞬間、かなりイヤな予感がしました。

 

すでに18時頃だったのですが、駐車場はかなりびっちりで全然出車する気配がない。。。もちろん車は停められたのですが、普段の18時はもうかなりスカスカなので、思わず「ねぇ、みんなまだ帰らないのかな?」←もうこの発言が浅はかぶりを象徴しているのですが、主人とアワアワしながらも、とりあえず買い物することにしました。

 

花壇にトキメいていた息子は、あまり体力を使わなかったせいか元気いっぱいで、途中から買い物どころではなくなりましたが、お目当てのものも買うことができ、ごはんを食べることに。

 

この時点で19時半を過ぎていました。なのにフードコートは満席!!!

で、結局外の薄暗いテラス席で食べました;;

お子様連れもたくさんいて、このあたりから「あれ、みんな同じこと考えてる?」ということに気づき始めます。

 

息子のおむつを替えたりなんだりで結局20時半頃車に戻ろうと駐車場に行くと・・・

 

駐車場内にもう渋滞発生してるーーーっ!!!

 

みんなーもう20時半だよ?みんなー何でまだいるのーー?

(実際に車中で叫びました。)絶望的な空気が流れて、とりあえず行きの渋滞で腰がブロークンだった主人に代わり私が運転席に座ったものの、本当に本当に運転したくなくて笑、真剣に宿を探そうか迷いました。

 

車道に出るまでに10分くらいかかり、ようやく出た車道に看板が。

 

木更津金田ICまで100分以上。

 

嘘だと言って。お願い。高速乗るの22時まわるとか無理!!と主人にすごい剣幕でお伝えしたところ、とても冷静に迂回路を検索し始めました。

私はこういう時かなりのビビリで、あまり新しい道や抜け道なども利用しないタイプなのですが、主人はグイグイと迂回路を推奨してきました。

 

木更津アウトレットに行かれたことある方はわかるかもしれませんが、ICに乗るまでの道は右折が肝心で、この道がつまると本当に1台も動けません。

四方八方からこのレーンに合流してくるので、その時は本当に1台も進まなくて、いよいよヤバイと思い始めました。

 

迂回路を選択したものの、その列に入るためには直進車の怒りを買う覚悟でかなり強引に侵入しなければなりません。

私にはそんなことができず、かなり先まで直進して大回りのUターンで列に並びました。

 

その間にも、心臓に100本くらい毛の生えた強靭メンタルのドライバーがグイグイ侵入してきます。

GWなめてた~と痛感している頃、息子がぐずぐずに・・・。

夜の「ママジャナイとゼッタイにイヤ」タイムです。

結局主人がこの地獄渋滞を運転することになり、私は息子を寝かしつけながら、本当にICに入れたのが22時10分頃でした。

 

アクアラインは混んでいながらもノロノロと進み、そこからはわりとすんなりと帰れましたが、家に着いたのは23時半。。。

 

我が家は比較的近い方だと思いますが、みんな、何時に家に着いたんだろう。

これでも2回ほどかなりショートカットできていると思うので、ずっと同じレーンにいたら確実に24時を回っていたと思うとゾッとします😨

 

あれ、何か渋滞の話しかしてないのにこんなに長くなってしまったので、もうおしまいにします。

 

また✋

 

 

 

 

子どもの血管腫についてのお話をします。-退院するまでー

こんばんは。ついにGWが始まりましたね。

今年は特に旅行もいかないので、10連休は嬉しいような、長すぎるような。

複雑ですね。

 

初めての入院記録ももう少しなので、続けて書こうと思います。

前回はレーザー照射を終えたところまででした。

 

本当に断末魔のような大きな泣き声を聞き、こちらもつらくなっているところに

看護師さんに抱っこされた息子が現れました。

あんなに泣いていたのに不思議ともうケロっとしていて、照射後すぐなので特に目立った変化もなく、すんなりとまた病室に戻ることになりました。

 

あれ、もう終わったのかーと少し拍子抜けする気持ちと、でもこれから副反応が出るかもしれないし、まだまだ油断できない・・・と不安な気持ちと半々だったような気がします。過保護ぎみの私の両親も、レーザー室手前の家族待合室にいたので声をかけると目が点になっていて、明らかに「え、もう終わったの?早くない?てかここで待つ意味あった?」という表情をしていました。トータル5分くらいだもんね。。。

 

15時に施術で15時半には病室に戻り、看護師さんから、「はい、では明日の先生の診察までこちらで過ごしてくださいね~」と告げられ、明朝までのフリータイムが始まりました。

 

長い。長すぎる。

 

まだ特定のおもちゃでずっと遊ぶような月齢でもなく、離乳食も始めたばかりなのでそのときは2日間お休みしていたし、スルコトナイな~

でもすぐにおっぱいもミルクもいつも通り飲めたのと、両親がいてくれたおかげで夜まではわりとすんなり時間が過ぎていきました。

 

◆途中経過

照射1時間後くらいから徐々に息子の唇が腫れてきます。

完全にアナゴさんです。しかも赤みも変わらずにただひたすらぷっくりしていて、これ元に戻るの・・・?とだんだん心配になってきました。

ただ赤いだけじゃなくて、こんなに盛り上がってたら絶対からかわれちゃう・・・

とまた悲観モードに入りそうでした。

 

ただ息子自身はやはり痛みやかゆみなど、特に何も感じていないようで、本当に普段通り過ごせました。

 

◆病室での過ごし方

・病室で談笑(父は読書や散歩に繰り出す)

・再びレストラン(何回行くねん)

・お着替え、ミルク、おっぱい

・夜食の買い出し(私めちゃくちゃ食べるので。。)

・キングダム熟読(気晴らしに読むつもりで持参。あまり内容入ってこず)

 

時間としては、19時頃両親が帰宅。20時前には寝かせようと頑張りましたが、興奮しているのか全然寝る気配なし。

21時半頃ようやく眠りにつき、いつもの2~3時間起きに目覚めるやつを繰り返し、明け方の4時から6時まではほぼまったく寝ず。

 

まぁレーザーあてられて、部屋もベッドも何もかも家と違うんだからしょうがないですよね。

わかる、わかるけど、でも、もうちょっと寝てほしかった・・・😞

諦めて片付けなどをしていたら、先生が朝8時前に病室に来てくれました。

 

「出血もないし、問題ないね!帰って大丈夫です!」

 

良かった~。でもこれまた本当に一瞬の出来事で、先生と息子の触れ合い、この入院でトータル10分くらいですね(´∀`)アハハ

 

とにかく無事に退院できることになり、安心しました。これで少しは効果が出るといいんだけどなぁと期待しながら、母も到着、結局10時過ぎに病室を後にしました。

 

またまた退院の手続き受付は結構並んでいて、時間がかかってしまいましたが、息子も泣くことなく無事に退院することができました。

 

治療費はトータル34,400円(このうち差額ベッド代が15120円)でした。

本来は治療費については無料なのですが、住んでいる市の隣の病院だったため、いったん立替て、後から小児医療費助成申請をして返還していただく仕組みです。

結果2万円弱くらいは戻ってきました★ありがたい制度です。

 

長かった初めてのレーザー治療の記録を終わります。

記録のためにも、いつか唇の写真をアップしてみたいと思います。

 

ではおやすみなさい。

 

 

子どもの血管腫についてのお話をします。-いよいよ入院ー

こんにちは。

前回は入院の部屋の話を書いて終わってしまいましたので、今日は初めてのレーザー治療について書きたいと思います。

 

生後6か月で唇にレーザーをあてるなんてかわいそう、という思いと、何も覚えてないうちに少しでも治療を進めておきたい、という気持ちが入り混じりながらいよいよ入院の日がきました。

 

 

◆病院到着

当日は実父母が車で迎えに来てくれて、病院に少し早めに到着しました。10時からの入院手続は何名かすでに待っていて、場所も狭く、荷物も多いのでこういう時に大人の人手があるのは本当にありがたいですね。

無事手続きも終わり早速病室へ。。。ドキドキ。

入ると部屋にはトイレもありとても快適そうでした。いや、でもそんなことより、重要なのはベッド!!

 

ちょうどベッドを小児用のものに入れ替えるタイミングだったようで、ほどなくして、柵つきのベッドがやってきました。

 

思わず「大き~い😃」と声が出てしまうほど、ちゃんとガリバーな私も収納できるサイズでほっと一安心でした。

で、いったんリリースされました笑。大人3人、乳児1人。何する?ってなりまして。

病室で談笑するには狭いし、外も寒いし。いやそもそも遊びに来たわけじゃないしね。ってことで病院内のレストラン(社食に近い感じ)に行きました。

 

食事をしてのんきに過ごしていたら、その間にどうやら主治医の先生が病室を訪れてくれていたらしく😨後から看護師さんに言われました。それ早く言ってよ~!!わりとあっさりリリースしたじゃん!と心の中で思いながら、結局お昼過ぎに病室に戻りました。

 

たった1泊なのに荷物が多くなってしまったので少し整理しながら、同意書の提出、息子の熱計測、手術着にお着換え、施設案内などを看護師さんから受けたりして、ようやく施術の15時になりました。

 

ちなみに手術着は赤ちゃん用のものもちゃんとあって、不謹慎かもしれないですが、すごくかわいかったです。(ピンク一択(;'∀')でしたが)

照射箇所は唇なのに一応手術着に着替えるんだな~と思いながら、足に氏名を書いたバンドを装着して、いよいよ感が高まってきました。

 

ちなみに息子の単純性血管腫は、下唇全部とその下に少しはみ出したように広がっていて、その部分がさらに全体を赤く見せているような感じです。

(リップはみ出して塗って、口大きく見えるよ💋的な。)

私も主人も両親も、息子の血管腫を初めて見たときからずっと、「せめてこの下にはみ出た部分だけでもいいから普通の色に戻せたらいいね・・・」と話していました。

 

看護師さんが手術室に連れて行ってくれたのですが、ドラマで見るような大きな手術室の入り口がウィーーンと開き、息子を抱っこしたまま進んでいくと、これまたドラマで見るような酸素注入器をつけタンカに乗せられたご老人がいらして、その場にいた全員が

 

・・・ん?

 

となったのを今でも鮮明に覚えています。女医さんが駆け寄ってきて、看護師さんに

「違う違う違う、ここじゃないです~!」(鈴木雅之?w)

どうやら看護師さんが部屋を間違えたらしく、まったく別のルートでレーザー室なる部屋にたどり着きました。

 

入り口はインターホンがあり、看護師さんが名乗ると厚い扉が開いて、小さなイスが2つほど置いてある待合室のようなスペースがありました。

そこで改めて

・名前

・生年月日

・どこに照射するか

を聞かれ、答えるとわりとすぐに「では行きますね~」とオペ服を着た先生に息子を託すことに。。。

 

ひーーーーもういっちゃうのーーーとテンパる気持ちをおさえて、静かにイスに座って待ちます。

 

1分後。

えぇぇぇぇぇーーん

 

びえぇぇぇぇぇーーん

 

うわぁぁぁぁぁーーん

 

あんな大きい声出せたっけ?と思いながら、こちらが泣きそうになるのを必死にこらえていると、中から「終わったよ~もう大丈夫だよ~」と話しかけている声が聞こえて、とりあえず生きてる!!無事終わったとホッとしました。

 

中に入れない(照射方法がわからない)のが、いいのか悪いのか、声だけで施術を見守るという初レーザー治療でした。

 

その間、約3分。

またまた長くなってしまったので、1回区切ります。

おやすみなさい★